こうして
AppBankと僕の関わりあいがスタートした。その成果は電撃ゲームス誌面、ブログ等に表れている。もし
AppBankとの関係がなかったら、電撃ゲームスの
iPhone連載は、続いてこそいたかもしれないが、ここまで意味のあるものにはなっていなかっただろうし、ページを増やすこともできなかっただろう。ライター(スタッフ)の確保には失敗したが、もう1つの目的、
iPhone連載の拡張は達成された。さらに、僕はこの数か月、まだまだ試行錯誤しながら
iPhoneアプリについて、ブログで、誌面で書き続けている。これも彼らから受け続ける刺激がなかったら、とうていなかったことだ。正直、いろいろな意味で「まだ」商売にはなっていない。
また、2009年秋から2010年春にかけてというこの時期は、ちょうど
AppBank自身が開設から1年以上経ち、いよいよ表舞台に立とうかという時期と重なっていた。すでに専用の閲覧アプリ「AppBank for
iPhone」をリリースし、PVは月間1000万をはるかに超え、
iPhoneアプリを紹介するサイトとしては圧倒的な、世界でも例を見ない存在になっていた彼らだったが、決して大メジャーではなかった。規模こそ大きかったものの、知る人ぞ知る、デビュー前の大物アーティストという風であり、アーティストではない(音楽業界ではない)のでメジャーデビューを仕掛けてくれる外部のプロデューサーはいなかった。今もそうなのだろうが、自分たちを前に進めるために自分たちでプランを練り、自分たちで実行する。彼らに、それ以外の選択肢はなかった。仮に
AppBankが新人アーティストだったとしたら、レーベル側からすればずいぶん扱いにくい新人だったかもしれないが。
この時期、
AppBankについて印象に残っているできごとが3つある。
順序は逆になるが、1つは2月22日に
アップルストア銀座で行われたプレゼンテーション。詳細は既に
ブログでも書いているので省略するが、まず
@entrypostmanさんのプレゼンテーションには驚かされた。人前で話すのは2回目だとのことだったが、とてもそんなふうには見えない、堂々たるプレゼンテーションだった。鎌倉の
スティーブ・ジョブス。「one more thing」まで用意した内容は、圧巻の一言だった。この時の模様は個人的にはじめて
ツイッターによる実況を行い、そのまとめをブログにアップした。「まとまったいい内容です」と言われることが多いが、まとまっていたのは
@entrypostmanさんの話の内容であり、僕がまとめたわけではない。
「
iPhoneのユーザーは、これまでの、たとえばゲームファンと比較した時に、確実に変化しています。彼らのコンテンツの消費スピードは、ものすごいものがあります。思い出してみてください。以前、大作ゲームを買う時は、発売の半年、時には1年以上前から雑誌に載る情報をチェックして、ずっと楽しみに待ち続け、おこづかいを貯めて、ようやく発売日を迎えました。そして、ソフトを買ってきたら飽きるまでどころか飽きても遊び続けました。たとえそれが、自分が望んでいたものではなかったとしても、です。
iPhoneユーザーは違います。まず、彼らは待っていません。普段からブログや
ツイッターを駆使して情報を集めていますから、「なにかおもしろいゲームないかな?』と思った時には、膨大な情報が目の前を流れているわけです。それをピックアップするのですが、彼らはまた、目も肥えています。子どものころから高性能なゲーム機に触れ、高度なゲームをプレイしているので、ゲームを選ぶ目が発達しています。気になったタイトルについて
AppBankをチェックする時に、迷うことなく自分にあうであろうと予想されるタイトルをピックアップすることができます。
そして1本を選び出してさくっとダウンロードしてプレイするわけですが、もって3分です。1分、2分かもしれません。ちょこちょこっとプレイして「おもしろくない」と判断してしまったら、すぐにプレイをやめて次のタイトルを物色します。かつては半年、1年とかけていたプロセスが、ものの数分で終わり、それを繰り返すのです。アプリの価格が安いということも背景にあるのでしょうが、このスピード感はハンパないです」。
僕が
iPhoneを見せ、いくつかのゲームを紹介したゲーム業界関係者、特にクリエイターはよくこう言う。
「ゲームって、これでいいんだよな」。
スクウェア・エニックスがリリースしているような極一部のタイトルを除けば、
iPhoneゲームの画面は家庭用ゲーム機タイトルのそれと比べると、はっきりとしょぼい。ポリゴン……とも呼べないような代物も多い。また、美麗なムービーもなければ際立つキャ
ラクターもいないし、長大なストーリーもない。今、家庭用ゲーム機タイトルのキャッチフレーズ、売りになるような要素は一切ないと言ってもいいだろう。なぜか?
iPhoneのゲームには、言ってしまえばアイディアしかないからだ。それも、多くの場合はたった1つのアイディアしかない。画面に表示される多数の「の」の字の中から逆向きのものを選ぶ、画面を流れてくる刺身の盛り合わせのパックの上にたんぽぽを置いていく。それだけだ。これが適切な例かどうかはわからないが、クリエイターたちはそれを見て、こう言ったのだ。
「ゲームって、これでいいんだよな」と。
今も昔も、未来も、コンピュータゲームの本質はインタ
ラクティビティにある。そして、インタ
ラクティビティは目には見えない。目に見えないインタ
ラクティビティを設計~コン
トロールして、いかにプレイヤーに快感を与えるか? これがゲームの本質であり、勝負どころだ。そして、ゲームを構成する要素で目に見えない(耳に聴こえない)唯一のものがアイディアだ。「●○をするゲーム」。こう一言で表現できるアイディアのあるものが、実は最も優れたゲームなのではないか。頭の、あるいは心のどこかでそう思っているからか、彼らの「ゲームって、これでいいんだよな」という一言には、どこか自嘲的な響きがあった。
だが。
@entrypostmanさんがこの日語ったことは、家庭用ゲーム業界にとって重要な示唆になると同時に、適確すぎる警鐘を打ち鳴らすものでもあった。
iPhoneゲームをプレイするユーザーは、ゲームの本質であるアイディアをものすごいスピード感で消費する。(ここは議論が分かれる可能性があるが)本質ではない部分に注力したタイトルで、ユーザーのツボを外しているようなものは、たとえ1年かけて作られようが、2年かけようが、制作費にいくらかけようとも、一瞬で終わりなのだ。20年前のようにはユーザーはやさしくもなく、ゲームの味方でもない。彼らは立派な消費者に育ったのだが、業界は、業界構造はそれに追いついているだろうか。
※この文章はmobile ASCII掲載「鎌倉JAPAN」の取材記として書かれています。内容は、倉西自身の主観に基づくものです。