ゲーム雑誌は変わるのか? 第5回
※この文章は電撃PlayStation付録に掲載されたものです。
さて、僕はゲームライターになった。あっさり書いたが、あっさりなってしまったのだから仕方がない。もう何年前なのだろうか。スーパーファミコン版「弟切草」の記事を担当した記憶があるので、おそらく17年前のことだ。
当時、23歳。大学留年1年目、5年生だったときのことだ(結局、大学には7年在籍したが、たぶん通った日数の合計は半年くらいだろう)。この大学5年生という境遇が、ある意味、僕をゲームライターにしたとも言えるだろう。毎日毎日、昼過ぎに起きて女の子と電話して、たまには会ったりして、会わない日にはゲームをして、夕方、ビデオレンタル+ゲームソフト販売のお店にアルバイトに行き、時にはゲームを借りてきたり、深夜帰宅して、また、ゲーム、いつの間にか寝て、そして昼過ぎに起きて……時間帯こそ少し変わったが、今の生活も大差ない気がしてきた、書いてて。
当時、23歳。周囲の人間は卒業して就職して、というなか、僕はぼんやりと文章を書いて暮らそうと思っていた。何かをめざしていたわけではない。だから、「考えていた」のではなく、「思っていた」程度だった。なんとなく応募してみた地方新聞の文学賞で最終選考まで残ったが、よくぞ、あんな話が通ったものだ。ラストシーンは、とても電撃PlayStationでは書けないものだが、僕自身はCERO全年齢対象の41歳です。
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