- バベル
- 出演:ブラッド・ピット
- 2007年11月02日発売
- 12歳以上対象
- 投稿者の評価: 160点
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まず最初にお断りしておきます。ネタバレ注意です。ですというか、ネタバレです。これから「バベル」を観ようという方は、このレビューは読まないでください。そういう方のために一言でまとめておきますと、僕はこの映画が好きです。以下にまとめるような視点で見ると、極めてテーマ性の強い「作品」だったのではないかと思います。いや、僕自身はその、観るまでは
「世界的な規模で進行する悪の秘密結社の邪悪な陰謀にブラピと役所広司が挑む」映画だと思ってました、何故かorz 全然、違いましたね。
以下、ネタバレです。
この映画で描かれている事件は、たった1つです。モ
ロッコを走る観光バスに向かって山羊の番をしていた兄弟がふざけてライフルを撃つ。それが偶然、観光客に当たってしまい、事件がはじまります。描かれるのは、その観光客夫婦(だんなが
ブラッド・ピット)と撃った兄弟の家族が登場人物のモ
ロッコ、撃たれた女性の子どもがベビーシッターと暮らすサンディエゴ~メキシコ、そしてそのライフルを偶然、モ
ロッコを旅行していた時にガイドにプレゼントした
役所広司と聾唖者の娘が暮らす東京、この三極です。この三極それぞれでドラマが進行していきます。
この映画は、インターネットがなければたぶん着想もされなかったものです。三極いずれも、テーマは「つながる」ということです。
ブラッド・ピットの夫婦は一度、失いかけた夫婦の「つながり」を取り戻すために、二人きりのモ
ロッコ旅行に来ていました。そこで奥さんが撃たれるのですが、大使館への連絡もなかなか「つながらず」、モ
ロッコの小さな村に取り残されます。一転、東京で描かれるのは聾唖者の女子高生です。彼女はいつでもなににでも「つながれる」大都会に生きながら、聾というハンディを背負い、社会との「つながり」方に歪な性意識を持っています。一方、サンディエゴに暮らす夫婦の子どもたちは、ベビーシッターの女性に連れられて、彼女の息子の結婚式が行われるメキシコの街に向かいます。ここでは貧しいながらも幸せな家族の「つながり」が描かれるのですが、その「つながり」は国境によって切断されるものです。つながることの困難と不全。際だったシチュエーションを印象的なカメラワークで追いながら、映画はそれを観る者に対して強く投げかけます。
僕たちは、いつでも誰とでもつながることができるインターネットを前提とした社会に生きています。でも、それは真実なのか? そもそも、その前提に立って、人と人がつながるというのは、どういうことなのか? この映画の問いは、非常に悲劇的に胸に響きます。時に痛々しいばかりに、その悲劇性を表現するのが
菊地凛子さんが演じた女子高生です。聾というハンディに加え、母親を自殺によって失った彼女は、社会とのつながりを持つために、性に対する歪な意識を持ってしまいます。ファーストフード店のトイレでパンツを脱いで、近くの席の男の子に向かって性器を露出したり、事件で使われたライフルについて聞き込みに来た刑事に全裸で迫ったりします。誰もが享楽的で、ケータイネットワークも完備された東京の高層マンションで、彼女は声にならない叫びを上げ続けます。東京のシーンは、最後の最後まで、救われないトーンで描かれます。
一方、サンディエゴ~メキシコのシーンは、対照的に幸せな家族のつながりを描いていきます。メキシコへのドライブは、この映画の中で唯一、微笑んでしまうシーンです。特にベビーシッターの女性の甥を演じた役者さんは、本当にリアリティのあるいい演技をしていました。撃たれた夫婦の二人の子どもたちは、ちょっとした小旅行で、異文化の風俗に出会います。このシーンは異文化とのつながりを描いているシーンでもあります。ただ、それも最後には悲劇となります。メキシコから
アメリカに戻る国境の検問所で、子どもたちのパスポートを見た係官が、撃たれた女性の子どもであることに気づき、テロ~誘拐という疑惑を持ちます。モ
ロッコで女性が撃たれたのは、本当に兄弟の悪ふざけに過ぎなかったのですが、その時は「
アメリカ人観光客へのテロ攻撃」として報道されていたからです。その強引な尋問に恐怖した甥は、ベビーシッターの女性と二人の子どもを国境の砂漠で下ろし、逃走します。何の問題もなく、幸せに過ごしていたベビーシッターと二人の子どもたちとのつながりは、この時、国境によって断ち切られます。最終的に、
不法就労者だった彼女は、強制送還されてしまいます。
長くなってきたので、稿を改めます。