5月27日、
iPad日本発売の前の晩、
AppBankの4人は
アップルストア銀座で並んでいた。
iPhone3GS発売の時にも、
AppBankは
ソフトバンク表参道店で並んだのだが、その時との明確な違いは、
AppBankのトレードマークである手描きのリンゴが胸に大きくあしらわれた、そろいのポロシャツを着ていることだった。その姿は何度も翌朝の情報番組に登場したので、目にした人も多いかもしれない。それも大きな違いだった。僕が
アップルストア銀座に到着した18時ごろにも、夜のニュース番組で流す映像を撮影するために多くのカメラが右往左往していた。それは、ちょっとした事件の現場だった。
AppBankの4人は列の先頭の方で、何台ものカメラを向けられていた。
一瞬、列を離れて
@entrypostmanさん、
@appbank君とラーメンを食べ、僕はそのまま表参道のクラブで行われていた前夜祭に向かったのだが、ここもとんでもない人だった。そう広くはないスペースに、何百人詰め込まれていたのだろう。立ち止まる隙間もない状態だった。ついさっきまで、銀座の路上で心地よい風に吹かれていた僕には、とても耐えられるものではなかった。汗だくになりながら
CRIの幅さんのプレゼンテーションだけ聴き、御挨拶をして、逃げるように、転がり出るように、会場をあとにして
ソフトバンク表参道店に向かい、ちらりと様子を見て、また、銀座に戻った。
僕は
Mac、もしくは
iPhone、
iPad、あるいはゲーム機さえ与えられていれば出不精このうえない人間だが、路上は好きだ。特に、夜の路上が好きだ。どこに向かうのでもなく、夜の路上にいるのが好きなのだ。歩きたければ歩けばいいのだが、いつでも座り込むこともできる。幸い、都内であれば少し歩けばコンビニがある。飲み物とおにぎりの1つも買って、どこででも座って、おにぎりをほおばる。うまく説明できないが、そういうことが好きなのだ。しかも、
iPhoneがあれば、そんな時でもインターネットに接続することができる。
深夜一時過ぎ、いつも朝の早い
@appbank君は、一人、眠りに就いていた。横になった彼の長身をテーブルにして、
宮川さんが差し入れてくれたタコ焼きを、みんなで食べた。
6月23日、iPhone4日本発売の前の晩、
@appbank君と
@kazuend君が
ソフトバンク表参道店で並んだ。白待ちを決めた
@entrypostmanさんと
@toshism君は、その場にいたものの、どこか手持ち無沙汰な様子だった。
「倉西さん、タバコ吸いにいきましょう」。
めずらしく何度も
@entrypostmanさんに誘われて、少しだけ離れた喫煙所に向かった。ひどく蒸し暑い夜だった。
銀座でもそうだったのだが、表参道でも、彼らが並んでいるとひっきりなしに誰かがやってくる。その多くが、個人でがんばっている
デベロッパーだ。「あの、
AppBankさんですか?」。そろいのポロシャツを着ているのでわかりやすくなったのだろう、本当に多くの人が声をかけてくる。
「はい、そうです。
AppBankです」。
たいていの場合、それに答えるのは
@entrypostmanさんだ。記事やツイットキャスティングで見慣れた笑顔なので、相手も安心するのだろう。「会えてうれしいです」というあいさつもそこそこに、自分のアプリのことではなく、いかに自分が
AppBankのことが好きかという話をはじめる人が多い。
AppBankで記事になったことのあるアプリの開発者であれば、そのことの御礼もあるし、今作っているアプリを売り込んだりすればよさそうなものだが、やはりそれ以上に
AppBankへの思いを滔々と語る。この光景を目にして、最初のうちは不思議だったのだが、今はなんとも思わない。彼らは個人
デベロッパーではあるのだが、その前に、
AppBankの、最も熱心な読者の一人でもあるのだ。
「そうですか、それはいいですね、いいと思います。はい、はい、そうなんですよね、それについては私たちもこう考えていて、鎌倉でがんばってるんですよ」。
一人一人の話も、決して短くはない。「
AppBankの中の人」に会えて感激しているのだから、それはそうだろう。それでも、正直、僕だったら途中で「すいません、ちょっと今……」と適当にごまかしているところだが、
@entrypostmanさんはしっかり相手の話を聞き、ただ相づちを打つのではなく、きちんと会話をしている。
「僕のアプリ、テレビでも紹介されたんですが、気のせいかな? っていうくらいしかダウンロード数がのびなかったんですよね。それが、
AppBankさんで書いてもらったら、いきなり有料アプリの総合ランキングで7位にまで上がって、本当に影響力があるんだなと思いました。ありがとうございました」。
「ほんとにぃ!? それはよかった! おめでとうございます」。
表参道の喫煙所で出会った個人
デベロッパーに、
@entrypostmanさんは、向こうが恐縮するくらい深々と頭を下げた。
「がんばってください。大丈夫です、日本には
AppBankがいますから!」。
そう言いながら固く握手をした
@entrypostmanさんは、その個人
デベロッパーを
@appbank君に紹介するために、すでに横になっていた彼のもとへと連れていった。
「ありがとうございました。電プレさんに紹介してもらったおかげでユーザーさんに期待してもらって、ソフトが売れました」。
早い段階から新作担当デスクになり、その後、長く副編集長を務め、挙句、同じくらい長く編集長までやってしまった僕は、ゲームメーカーさんから何度もこう言われたことがある。嘘だ。その相手が嘘をついているという意味ではない、正しくない言葉だという意味で、嘘だ(もちろん、その当時の僕は「いやいや、そんなことないですよ、ソフトがおもしろかったからですよ」と返していた。それは、僕個人の感想という程度の嘘しか含んではいない)。単純な話で、ゲームソフトをはじめ、雑誌や本も、日本で売られている形あるものはほぼすべて、購入者が直接生産者から買うのではなく、生産者からまず問屋や小
売店に商品が販売され、彼ら中間の流通業者を介して購入者に買われていくからだ。確かに
電撃PlayStationが紹介記事を載せたからユーザーがそのタイトルについて知ることができたのかもしれないが、だからソフトが売れたのではない。ソフトは、ユーザーにではなく、各流通業者に売れたのだ。各流通業者も努力してユーザーの期待度や人気を、ゲーム雑誌を読んだりネットを見たりして知ろうとはしているが、彼らには彼らの事情も都合もある。それを満たすための期待とユーザーの期待は、必ずしも一致するものではない。時に、雑誌やネットで非常に高い評価と期待を受けたソフトが、発売日だというのに買えないことがある。ユーザーは買いたいのに、買えない。これは、流通業者に売れなかったから、市中に出回っている本数が需要を下回って少なかった時に起こる現象だ(「FF」「
ドラクエ」といった、いきなり何百万と売れるタイトルの場合のみ、生産が追いつかなかったという可能性がある)。
このことには、本当に苦い思い出がいくつもある。あまり知られてはいないニューカマーのソフトで、本当におもしろいから
電撃PlayStationで大ページを割いてプッシュしたのに(当時の)
電撃PlayStationの部数の1/10も売れなかったソフトは山ほどある。それなのに、数年後にはネットで「
神ゲー」と呼ばれ、中古市場での価格が高騰していたりする。
AppSoreでは、そういうことはない。ユーザーは、それがいつリリースされたものであれ、買いたい時に買いたいアプリをダウンロードすることができる。
ゲーム市場、あるいは出版市場とAppStoreを単純に比較することはできない……と考えるのが常識だ。紙媒体である
電撃PlayStationと
AppBankも、常識的には直接比較できるものではないし、競合でもない。ただ、今、目の前で起こっている消費行動の変化は、その常識の範疇におさまるものだろうか? 物理的な商品を扱う市場と、データを扱う市場は比較できないと、本当に言えるだろうか?
メディアであると同時に擬似的な売り場でもあり、陳列する商品を提供してくれる開発者すら読者に抱える。そして、読者一人一人とがっちりと握手することができる
AppBankモデルとでも呼ぶべきスタイルは、そんな常識の外で生まれた。
鎌倉に、
AppBankというサイトがある。革命は常に、辺境で狼煙を上げる。
※この文章はmobile ASCII掲載「鎌倉JAPAN」の取材記として書かれています。内容は、倉西自身の主観に基づくものです。