【project GFF】GFF主要三社インタビュー全文掲載(第7回)
※このインタビュー記事は、電撃PlayStation 9月14日発売号付録「project GFF」に掲載されたものの完全版になります。
日野:ちょっと話をGFFの活動に戻すと、2003年のイベントの直後には、もう次回イベントのことを考えていたというのは、さっきお話しした通りです。ただ、翌年じゃないだろうなとは思っていました。毎年開催するものではないだろうと。
松山:次のGFFの目標というかイメージは、産・官・学の連携にあり、そこをめざして活動していこうということは、2004年には決まっていました。また、そのビジョンを提案してくれた広告代理店である大広九州には、単なる代理店としてではなく、ビジョンを共有するメンバーとして活動に参加してもらっています。そこから九州大学との産学連携もはじまりましたし、いろいろなことが新たにスタートしていきました。その成果が徐々にまとまってきたのが2006年ごろでした。また、同時期に東京のゲームメーカー、それから学校関係の方々からも「また、あんなイベントはやらないんですか?」というお話をいただくようになりました。
山倉:「最近、なにやってるの? 教えてよ」というようなお話でしたよね。口の悪い人からは「GFFって、まだあるの?」とか言われたりもしましたけどね、冗談で(笑)
松山:そういうお話をいただくようになると、やっぱりそろそろ何か発表しないとなぁという気持ちにもなりましたよね。
日野:そんな空気があって、2006年からは毎月会議を開いて、次のイベントについて議論していました。
山倉:2003年の時とは違って、加盟企業も増えてましたから、議論は尽きなかったですね。
松山:2003年の時は、僕らもまだ、今と比べれば多少、身体が空いてましたね。僕も年間100回も飛行機に乗ったりはしていなかったし。
山倉:えっ? じゃあ、二人ともカード(航空会社の会員カード)はダイヤモンド? 黒いヤツ? 私まだ、赤い。すごいなぁ。そんなに飛行機に乗るんなら、GFFのチャーター機とか用意すればいいじゃない、いっそのこと(笑) ゲーム機も積んで。
(次回に続く)
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